鶴見生まれの僕が沖縄の本土復帰50年に思うこと

雑記ブログ

沖縄といえば

沖縄といえば、沖縄そば、サータアンダギー、ブルーシールアイスクリーム、海、美ら海水族館(行きたいなぁ)、旅行したいところです。

沖縄が、日本復帰50周年とは、「沖縄って日本じゃなかったの?」なんて思いました。自分も今年50歳のなるので不思議な感じがします。

NHKの朝のテレビ連続ドラマで「ちむどんどん」がやっていますが、舞台が沖縄と鶴見でとても面白いです!

沖縄の歴史

沖縄県がかつて日本の国ではなかったことにびっくりしています。昔、沖縄県は、首里城を中心とした琉球王国だった。明治時代になると、450年続いていた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となった。

太平洋戦争が終わりを迎える1945年(昭和20年)3月、アメリカ軍が沖縄に上陸する。激しい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人を含むたくさんの人達が亡くなりました。これが「沖縄戦」です。

戦争が終わると、1972(昭和47年)5月15日に日本に復帰する。それまで沖縄はアメリカの統治下にあり27年もの間アメリカだった。その間に米軍基地が建設され、今に至る。

本土復帰50年に思うこと

沖縄県は、ある一部のところには国からお金が出て潤っているかも知れません。

道路やインフラ関係。でも、暮らしている人々の生活は厳しそうです。

介護でも調べると、月収13万から18万ぐらいで本州からは考えられない給料の安さです。手取りでは下手すれば10万切るんじゃないかな。本当に考えられない安さです。

物価はと見ると本州とほぼ変わらない程です。どうしても輸送費がかかり物価が高くなるようです。米軍関係か観光業(コロナできびしいでしょう。)しかないです。

友人が沖縄にいますが生活はきびしそうです。沖縄が救われる道はないのでしょうか。

鶴見について

自分の生まれが横浜市鶴見区だったので、小学生時代に沖縄の人と触れ合う機会がありました。

仲の良かった友達の一家が沖縄の人だったので、よく遊びに行きました。すると、「今日は泊まっていきな。家には電話してあげるから。」と言われ、良く泊めてもらいました

そこの家には沖縄の人が5、6人はいつも集まっていて、沖縄の方言でよくしゃべっていましたが、何をしゃべっているのか分からなかった。

ただ、とにかく人が温かくて子どもながらに良い印象を持ってました。

思い出すとよく遊びに行って、ご飯ごちそうになって、銭湯に一緒に行って、家に泊めてもらってました。懐かしいですね。いまだにその時知ったサータアンダギーが好きです。

沖縄の50年の歴史は、そのまま自分の50年でもあり、歴史でもあるので、なにか心に来るものがあります。

沖縄といえば「沖縄そば」です!

それと、一度沖縄に行った時に食べた「ブルーシールアイス」最高でした!是非食べてみてください。

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