キリスト教の教えー愛について「神は愛です。」

キリスト教の教え 悩んでる人へ

tadano
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こんにちは、ただほんです。

今日はキリスト教の教えの「愛について」書いていきます。

   はじめに

「愛」といってもいろいろな愛がありますよね。

恋人の愛、親子の愛、友人の愛、など愛と言ってもその人の環境によってもいろいろあると思います。

僕は子どもがいるので、「親の愛」特に「父の愛」なんて映画など見るとうるうるしちゃいますね。

子どものために自分を犠牲にする「父の愛」いいですね。

「パニッシャー」という「マーベル 」のドラマがあるのですが、主人公のフランク・キャッスルは過去に親友に家族を殺されていてその復讐をするのですが、とにかく悪いやつををガンガンやっつけていきます。

そのシーズン2で、命を狙われていたある少女を主人公・フランクは助けます。はじめは、冷たい態度を取っていますが、だんだんと心がつながっていき、最後にはその子のために命をかけて守り戦っていきます。

親子ではないのですが、その姿に親の愛を感じ感動しました。血が繋がっていなくてもそこに「愛」があることがあります。(ドラマの話ですが…)

「愛」とはなんでしょうか?

   聖書が言っている愛とは

愛する者たち。私たちは互いに愛し合いましょう。

愛は神から出ているのです。愛がある者はみな神から生まれ、神を知っています。

愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって、私たちにいのちを得させてくださいました。

それによって神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、

なだめのささげ物としての御子を遣わされました。

ここに愛があるのです。

聖書  第1ヨハネの手紙4章より

僕が神の愛を知ったのは、家庭環境もよくなく親は離婚していて、誰にも愛されていないと思っていたときでした。

心のなかでは「誰か、何かが出来るからでなく、ありのままの自分を受け入れてくれて、愛してくれる人はいないのか」と求めていました。

そんな時に教会に行き、「神はひとり子イエス様を与えてくれるほど、あなたのことを愛してくれているのです。

十字架にかかられるほどにイエス様はあなたのことを愛しているのです。」と聞き、自分のことをありのままに愛していてくれる方がいることを初めて知りました。

人は、何かを期待して愛したり、愛されたりします。

それは条件付きの愛です。

条件付きの愛は、条件にそぐわなければ愛せなくなります。顔が変わったり(年をとると変わります)、性格が思っていたのと違かったり、そうすると愛せなくなりますね。

それが人の愛です。不完全の愛です。

神の愛は、無条件の愛です。

あなたが、わたしが、何かが出来るからでなく、美人だから、頭が良いから、運動ができるから、ではなく、ありのまま、何も出来なくても、顔が良くなくても、頭が良くなくても、そのままで神は愛してくれているのです。

親の愛に似ていますが(でも、親もいろいろありますから、暴力的な親もいますし。)親の愛と神の愛も違います。

神の愛はイエス・キリストを与えるほどの愛です。

父なる神は、そのひとり子イエス様を十字架につけるほどに、私達のことを愛してくださっています。

イエス様は、私の代わりに、あなたの代わりに、十字架で罪の罰を受けてくれました。

罪とは本当の神様から離れていることを言います。その罪を持っているなら神のもとに行くことができません。

しかし、イエス様が十字架の上で私達の罪のために罰を受けてくださったことによって、私達は赦され神のもとへ行けるようになりました。

そこに愛があるのです。

聖書の言っている「愛」は、無条件の愛であり、身代わりの愛です。

最近も海とかで子どもが溺れていて、その父親が助けに行って亡くなってしまった事故がありました。

親は子どものために自分の命を与えても良いと思います。

それは身代わりの愛です。

神の愛もご自身を捨てるほどの愛です。十字架の上でその生命さえも与えてくださるほどの愛です。

そんな人あなたのまわりにいますか?

僕のまわりにはいません。誰も自分が第一で人のためにいのちをかける人はいません。

イエス・キリストだけです。

イエス様だけがあなたをありのままに受け入れ、そのままでいいんだよと言ってくださいます。

そのままで愛してくださいます。

三浦綾子さんの小説に「塩狩峠」というのがあります。実際に起った事故を描いた小説ですが、自己犠牲について書いています。

1909(明治42)年2月28日、北海道で旭川に向かっていた列車が、途中の塩狩峠で最後尾の客車の連結が外れて逆走し、勾配を下って暴走しました。満員の乗客に死が迫る中、鉄道職員の長野政雄さんは線路に飛び降り、その身体で車輪を止め、自らの命と引き換えに乗客の命を救いました。

小説は実話を元にしながら、脚色をしていると思いますが、長野さんはクリスチャンでした。

そこには犠牲の愛がありました。

イエス・キリストもあなたのためにいのちを捨ててくれました。犠牲の愛です。

『神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)』

今日を生きるための言葉〜悩んでる人へ
誰でも心が渇き、生きていくことに希望が持てなくなることがあります。でも必ず助けがあることを知ってください。

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