こんにちは、ただほん です。
今日は、僕がキリスト教に触れ、クリスチャンになったきっかけについて書いていきます。
クリスチャンになったきっかけは
①子ども時代
自分の子ども時代について話します。両親と5歳上の姉、2歳上の兄、5歳下の妹がいました。小学生の頃から両親の仲は悪く、毎日ケンカが絶えない家庭でした。
ある時、父と母がケンカし、母が狂ったように父に殴りかかり、父が灰皿を投げて、母のひたいがぱっくり切れてしまいました。
「救急車を呼べ〜!」と母が叫び、父が救急車を呼び、救急隊員の方が来るとなぜか、母が家の玄関に鍵をかけて入れなくしました。
そんな、ケンカが絶えない家庭でしたので、僕はいつも布団をかぶり隠れていました。
僕が中学1年生の時に両親は離婚し、母と兄、妹と暮らすことになりました。
次は兄と僕がケンカしたり、母と僕がケンカしたりするようになり、家は心が休まる場所ではなかったです。
2度ほど家を追い出され、父のもとに連れて行かれたことがありました。
何か自分のことをそのまま受け入れてくれる人や場所がないかなぁと思っていました。ありのままに、そのままに、何が出来るかじゃなく、受け入れてくれる人、場所。
②キリスト教会に行ったキッカケ
今、49歳なので、今から33年前の高校1年生のときです。
姉の子どもが、小学校で日曜学校のチラシをもらいました。姉は三浦綾子さんの本を読み、教会に行きたいと思っていたところでした。
そのチラシに書かれていた教会に行き、姉自身がクリスチャンになったのです。
姉はそこから家に遊びに行くたびに教会に誘い、キリスト教について話すようになりました。
僕も勧められて、三浦綾子さんの「氷点」や「塩狩峠」などを読み、誕生日には兄妹に姉から「聖書」がプレゼントされました。
(姉はハマると猪突猛進になります。)
2つ上の兄はあまり読んでいなかったと思うのですが、僕は、なぜか興味があり、聖書を読み勧めていました。
聖書に書かれているイスラエルという国が今もあり、その周りの中東諸国も聖書に出てくるのにびっくりし、「ヘ〜、聖書って寓話(ぐうわ)じゃないんだ」って思いました。
その姉から強烈に何度も進められて、じゃあ一度だけということで教会に行くことにしました。
教会ってどんなところ?
初めて行った教会は、なにか暖かくてずっと居たいと思ってしまいました。
イエス様の話、聖書の話は全然分からなかったけど、ふわっとした暖かいものを感じました。
礼拝中にトイレに行きたくなり、全然説教に集中できなくて、話も難しくて、でも、暖かかった。
自分がケンカの絶えない家庭で育ったので、もろにその暖かさを感じたのかも知れません。
③クリスチャンになる
それから、一月に一回教会に行くようになり、一月に一回が二週間に一回になり、そして毎週行くようになりました。
その中で自然とイエス・キリストを信じるようになり、クリスチャンになりました。
信じれないとか思ったことはなく、本当に自然とですね、信じるようになっていきました。
その後、洗礼(せんれいとは信じた人が受けるちょっとした儀式)を受けないかという話があり、1989年3月26日に洗礼を受けクリスチャンになりました。
洗礼式(せんれいしき)水のバプテスマとは
- 洗礼とは、クリスチャンになるため(救いの)の条件ではなく、イエス・キリストを個人的な救い主として心に受け入れたことの信仰の表明です。
- 洗礼式とは、水の中に体を沈める(浸す)儀式であり、キリストともに古い自分は死に、キリストともに復活して新しい命を生きることを表しています。
- 形式としては、浸礼(しんれい)…水に沈める、潅水礼(かんすいれい)…頭に水をかける、滴礼(てきれい)…水を数滴、頭にかける、があります。
- 川や海、湖で洗礼式を行う場合と洗礼槽(せんれいそう)で行う場合がある。
洗礼が水のバプテスマと言われるのは、水の中に浸すからです。
僕が洗礼式を受けたのは、高校一年生のときで、教会の洗礼槽ででした。
一緒に受けた人の中にが韓国人のおじいさんがいましたが、超喜んでいて、ぶあーっとしゃべりかけられたのを覚えています。
僕はそれほどではなかったのですが、そのおじいさんは喜びにあふれていました。
洗礼を受けるとは、感情の部分で何も起こらなくても良いのです。感情はあとから来ますから。
それよりも大事なのは、イエス・キリストを心の底から神の子・救い主として信じることです。
まとめ
僕は高校生の時に、クリスチャンになるという特権をいただきました。
あれから33年です。今49歳、変わらずイエス・キリス卜を信じています。
教会には通ったり、通わなかったり、いろいろありましたが、その辺もまたブログで!
これから、聖書について、教会について、クリスチャンについて、時事ネタなども含めて
書いていきますので、よろしくお願いします。
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